二十五番 観心寺

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観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていました。
 その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。
 弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命して、その弟子真紹とともに天長四年(827年)より 造営工事に着手された。以後、当時は国家安泰と厄除の祈願寺として、また高野山と奈良・京都の中宿として発展する。

大楠公楠木正成は観心寺中院が菩提寺で8歳から15歳まで滝覚坊に仏教や学問を学び、河内長野市加賀田の大江時親に兵法を学んだといわれています。後醍醐天皇 の鎌倉幕府の討伐に加わり、赤坂城、千早城で奮戦して後醍醐天皇の勝利に貢献しました。
後醍醐天皇の建武政権では記録所寄人、 河内、和泉両国の守護などをつとめました。建武政権の崩壊後は足利尊氏と争いますが、摂津の湊川の戦いで破れ戦死し、首級は京でさらされた後、菩提寺の観心寺に埋葬されました。写真はその首塚です。


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