熊野本宮大社

熊野本宮大社の縁起について、同社のホームページに次のように記載されています。

天火明命あめのほあかりのみことは、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下たかくらじは神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じてお迎えしました。
時を併せて高御産巣日神たかみむすひのかみは天より八咫烏やたがらすを遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原のいちいの巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連くまののむらじは、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。

と書かれています。元は大斎原にありましたが、洪水の為現在地に遷座されたとのことです。ここの主祭神は家都美御子大神即ち素戔嗚尊ですが、素戔嗚尊は熊野で生まれたと言われ、母の伊弉冉尊のお墓が花の窟神社であり、子供を出産したのが産田神社と言われることから、素戔嗚尊はこの熊野で生まれたと思われる。素戔嗚尊は幼い頃は大声で泣くばかりで、大きくなると悪戯、暴虐を繰り返す悪になった。母の伊弉冉尊は自分が厄の時に生まれた子だから自分が悪いと思い、素戔嗚尊を連れて熊野の宮に住んだと言われるが、それが本宮大社の対岸の山にある、玉置神社と思われる。ここの主祭神は国常立尊でホツマツタエでは初代のアマカミである。そうすると伊弉諾尊が亡くなった伊弉冉尊に逢いたいと根の国に行き、追われて逃げ帰り、禊をしたのが大斎原で、そこに造られたのが熊野本宮大社と考えられる。神武東征の際に「玉置神社」を通ったとある事より二社ともに古くからある社と思われる。


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