摩耶山天上寺

摩耶山天上寺は関西花の寺第十番札所です。Wikipediaによればその歴史は以下のとおりである。

当寺は、大化2年(646年)に孝徳天皇勅願天竺の伝説的な高僧法道仙人によって開創されたと伝わる。本尊は釈迦自らが彫り上げたとされる一寸八分の秘仏・十一面観音像で、法道仙人がをへてわが国に持ってきたものであるという

後に空海(弘法大師)が渡唐した際、武帝自作の摩耶夫人尊像を持ち帰り当寺に奉安したことから、当寺があるこの山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。寺号は摩耶夫人が転生した忉利天に因むものである鎌倉時代末期の鎌倉幕府軍対赤松氏による摩耶山合戦で知られる摩耶山城を当寺とする説がある。

最盛期には多くの塔頭僧坊を抱えており、最も栄えた頃は3,000人の僧を擁する摂津国第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族武将なども含めて広く信仰され、花山正親町両天皇の御願所でもあった

江戸時代には江戸幕府将軍徳川家光により摂津国の鎮護寺(護国寺)に選定され、紀州徳川家が将軍家の代参の役をつとめた。このため天上寺の紋は、天皇家より賜った五七の桐紋と徳川家より賜った三つ葉葵紋を合わせた二種紋となっている

1976年昭和51年)1月30日未明、賽銭泥棒による放火のため]、仁王門や一部の塔頭・庫裏を除いて全焼した。現在は北方約1キロメートルにある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建された。


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