oginoke
奈良坂の古道にそって立つ般若寺は、飛鳥時代に高句麗僧慧灌法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平七年(735)、聖武天皇が平城宮の鬼門を守るため「大般若経」を基壇に納め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。
平安の頃には学問寺として千人の学僧を集めて栄えたが、治承四年(1180)平家の南都攻めにあい伽藍は灰燼に帰した。鎌倉時代に入って廃墟の中から、十三重石宝塔をはじめ七堂伽藍の再建が行われ寺観は旧に復した。
般若寺はコスモスの寺として有名ですが訪れた10月15日はコスモス祭が催されていました。
上の写真の中央に建つのが十三重石宝塔です。昭和39年重要文化財・十三重石宝塔の大修理時にここから次に書く般若寺白鳳秘仏阿弥陀如来が見つかった。
総高40.9cmの小さな阿弥陀如来は、十三重石宝塔の五重軸石の丸い納入穴に錦の布に包み木箱に入れて納められていたもので、箱書きには「閻浮壇金ノ阿弥陀如来」と記されてあり、聖武天皇が平城宮の鬼門鎮護を記念して奉納した「霊像」と記されていた。
鎌倉時代、宋人伊行末の石塔建立時から八百年間塔内に秘蔵され、昭和になって再び下界に御出現された。
白鳳時代の造仏の経緯や以後の伝来については明らかではないが、石宝塔に奉納されるまで少しの傷みもなく伝世したことは、篤く信仰され大切に祀られてきたことをうかがわせる。それゆえ本像は制作年代、天皇伝承、優れたできばえから推測して聖武帝の曾祖母にあたる持統天皇ゆかりの念持仏とも考えられるとのことです。
この阿弥陀如来の台座から下の写真の胎内仏が出てきたそうで如何に重要な秘仏といえる。
この般若寺の白鳳秘仏と胎内仏三尊は宝蔵堂での特別公開となっていて、般若寺への拝観料よりも高くなっており、素通りする人が多くて残念に思いました。白鳳時代、奈良時代、平安時代と石宝塔の建立された鎌倉時代までを色々と思い巡らして次の岩船寺に向かいました。
投稿日
カテゴリー:
投稿者:
yasuogino
タグ: