ホツマツタエ関連

最近読んでビックリした本があります。最近私は縄文時代に興味を持ち、各地の縄文遺跡や縄文博物館に出掛けていますが、その関連で池田満さんの「縄文人のこころを旅する(ホツマツタエが書き直す日本古代史)」を読んでビックリしたのです。これまで私達は日本には縄文・弥生時代には文字が無く、「古事記」も稗田阿礼が暗誦していたものを太安万侶が記述したものと教えられてきました。

しかし、池田満さんの本では、日本には縄文時代から固有の文字があったと言うのです。

これが古代から日本にあった固有の文字(ヲシテ文字と言う)だと言うのです。この文字で書かれた日本の歴史書が「ホツマツタエ」です。『ホツマツタヱ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述している。皇室の祖先が8代アマカミのアマテルカミ天照大神)や初代アマカミのクニトコタチまで遡る。記紀では天照大神は女性とされているがホツマでは男性であり、正妃も「瀬織津姫」となっている。記紀では天照大神を女性としたため、その子供達は弟の須佐之男命との誓約によって生まれたと在りえない話になっておりますが、ホツマでは正妃のほか12人の妃がおり、各人1か月交代でアマテルカミに仕えたとされています。実は昔一宮巡りをしていて、伊勢神宮の別宮と言われる「伊雑宮」に行ったことがあるのですが、ここは伊勢神宮から20キロ近く離れていますが、ここも伊勢神宮と同じく20年毎に遷宮するそうでなんでこんなところに別宮があるのか不思議にも思った記憶がありました。ホツマによるとアマテルカミはそれまでの宮のあった富士山の山麓(富士宮市の富士山本宮浅間大社と思われる)からこの伊雑に遷都していましたが、息子にアマカミを譲った後に、自分は現在の伊勢神宮の内宮のある宇治に移ったとありました。それで伊雑宮が伊勢神宮の別宮と言う事にも納得が出来ました。下図にホツマツタエによる歴代アマカミの系図を載せました。

これからホツマツタエから興味があると思った所に旅に出ようと思っています。

  比沼奈為神社

  大宮売神社

  元伊勢内宮

  元伊勢下宮

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